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 農園からの風
 

 農園からの風(22) 2010/12/5
 

 

コーヒー農園のパラダイス構想

ニューカレドニア;
    カフェ・ロラコーヒー農園主

    歯科医師;松本 健

 


(後篇) 

[楽園構想]

「この地に楽園を築こう!」という構想が再び浮かんだのはコーヒー農園が開始されて間もなくだった。元々、自分の楽園を探す構想は前々からあったが、空想の領域であり、実現可能な範囲とは考えていなかった。しかし、ニューカレドニアという異国でクリストフに出会い、友達になり、コーヒー農園開発に発展し、パートナー契約までしてしまった。さらに加速してコーヒー製作工場の完成、種子からの発芽から成育させる栽培場まで作ってしまうと、もう後には引けぬ。2005年には成功していた歯科医業を廃業して、この地に移住してしまったのである。住んでみると全く異なった生活となった。朝は太陽が昇ると共に起きて散歩し、機械に乗って作業し、昼飯をマネジャーと共に食べ、1-2時間の昼寝をし、再び機械に乗り作業し、シャワーを浴びて夕食をとり、団欄をして早く寝るといったシンプルライフであった。その間、ストレスをほとんど感じないようになったのを感謝したものである。

 

しかし、物事はそう簡単に行かないのが通常である。現地での売り上げは、少しずつ上がってきても、まだ自分たちへの給料が払えるまでには達していない。

とても、理想郷を作っていく余裕はない。これまでは、彼のお金と私の日本での余裕金で作り上げたが、これからはコーヒーでの収入から築き上げねばならない。パートナーも「売り上げはこれからは平坦になってゆくだろう。それは、手のかかる国産品で高い我々のコーヒーを買ってくれる層は限られている。これからは、日本に輸出して買ってもらわねばならない」と言い出してきた。それ故にせっかく慣れたニューカレドニア生活から日本に帰るはめになった。2009年1月、私は再び日本に帰った。いつも温かい気候から厳寒の名古屋の家に戻った時は、震える寒さを感じたものである。

                                                                                                   

そもそも、パラダイス構築空想はどこから生まれてきたのか?を書くには、少々歴史をさかのぼらねばならない。なぜなら、人間の欲望、自己の理想と幸福の追求を激しく求める欧米よりも、島国に住み、文化的に優しく、人間の性格も温厚で、仕事好きな日本で生活していては、この突飛な構想は生まれてはこなかったと思う。あくまで自己の体験、信念、多くは、その逆境からの恢復から生まれてくるものだと思う。

 

[天国から地獄へ]

私のパラダイス構築計画の原点は、ニューヨーク時代に生まれたものである。1977年私は、ニューヨークへ出発した。当時の日本の歯科界は、まだ近代的とは言えず、若い女性でも金冠を前歯に被せるのが流行していた時代である。成功していた歯科オフィスを売り、36歳でより専門医を目指して最高学府で学ぶために出国した。到着初日から雲助タクシーに捕まり、暗がりに連れ込まれて“アワや強盗にーーー”という瞬間:独りでに大声でわめき、怒鳴る私の剣幕にスゴスゴと引き下がり、無事目的地に届けたのは気の小さいドライバーだったから助かった。一週間後、ニューヨーク全市が大停電(ブラックアウト)となり、下宿の下の電気店に盗みのために押し込んだ群衆のわめき声、外での大群衆の笑い声、罵声、騒ぎ声。パトカーのサイレンが方々から聞こえる一室で震えながら夜を過ごしたのである。頼りの大学院へは地下鉄を利用したが、地下鉄の入口の小便の臭い、便所は同性愛者のたまり場、地下鉄内は私の一番カジュアルな服を着て行ってもまだ立派だった事、ある車両には誰も乗っていないので“しめた!”と飛び込んだ途端:強烈な臭いを持つ浮浪者が一人、温かい車両の中で寝ている。強烈な吐き気を催し、あわてて飛びだし、他の車両に移った経験など数多い。麻薬は街にあふれ、小学校の校門の前でも売られている現実、さらにテレビのプロップで「監獄が満員だ、もう捕まえないでくれ」という警察の連絡事項が流れるなど、当時は、考えられない状況だった。

 

[大学院の凄さ]

大学院は立派な建物とさすがにエリートの顔立ちをした学生に囲まれて安心できたが、授業の内容が物凄い。毎日、平均8論文を読破、次に向かって発表しなければならない。最初は一論文の読破に2時間かかっていたが、それでは寝る時間がないので、一時間でまとめ上げた。それが毎日である。最後に近い学期では、それに22論文が加わった、もう必死である。途中で脳の細胞がダンスしだしてきた、気が触れてきた前兆である。さすがに日曜日には脳を休めて家族と遊んだ。その授業中、「もう堪らない!!」と私が叫びそうになる瞬間、隣席のアメリカ人学生が「やっても、やっても追いかけてくる! もう限度だ! 俺は故郷に帰る!!」と発狂して立ち去ったので助かった。仲間と授業後、話しているときに「俺は帰ったら、自分の楽園を南太平洋で見つける!」と言った記憶がある。当時見た映画で南太平洋の楽園をストレスから逃れる場所として言ったのだろう。それが後日、本当になるとは、想像外である。

 

ニューヨークで生活して良かったのは、これほどに多くの人種と異なる考えの激しさの中では、日本人は、永久に世界の中心にはなれない事を自覚できた事。さらに貴重なのは、このエリートを育成する教育機関の中で知り合った同級生:私を含めて全ての仲間がこの激しさの中で離婚を経験し、一人の仲間は「おまえは外国人のケンより劣る、恥だから去れ!」と言われて脱落したが、卒業後もお互いに連絡を取り続けて、一年に一回、一週間のスキー旅行、ダイビング旅行、学界などで会って、30年近くも友好を深めているのは“私の人生の宝“である。[写真一枚;四季のコーヒー]

 
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会社名

エスシーエー ロラ(SCA LOLA)
社長(President)
松本 健 (Matsumoto ken)
副社長(Vice President)
Christophe van Peteghem
資本金(Capital)
28M cfp(3,700万円) US$ 300G
設立(Stblished)
2000年9月(September 2000)
本社
Sunset Promotion:6,rue Jules Garniere B.P.2958
Noumea, Neuvelle Caledonie
電話
(687)929601、(687)820099
ファックス
(687)266870
名古屋出張所
〒461-0033 愛知県名古屋市東区大松町3-20
電話
(052)936-1307
ファックス
(052)936-6121
事業内容
コーヒーの栽培、加工、販売、輸出
従業員
6人
取引銀行
三菱東京UFJ,Societe General Bank
事業概要
SCA LOLA (カフェ・ロラ 商品名)は“天国に一番近い島”ニューカレドニア(フランス領)で生まれ、
国際空港近くのトンツータ河沿いに123ヘクタール(36万9千坪)の土地を所有しています。
その内の10ヘクタールにカティモア種とブルボンレッド種が3万本、
5ヘクタールには1万本近くのブルボン・ル。フォア(ポアンチュ)コーヒーを栽培しています。
さらに現在、新たに15ヘクタールを開発中でブルボンとル・フォア種が5万本植樹される予定です。
今年の収穫量は20トンを期待しています。

 
カフェロラサポーター

 
杉山記一 杉山記一氏

プロテニスプレーヤー
所属:橋本総業 株式会社
誕生日:1977/07/29
出身:香川県大内町(現・東かがわ市)
国籍:Japan
身長:179 cm
体重:72kg
公式HPはコチラ
【戦績】
2002
スペイン フューチャーズ F3
ダブルス 優勝
スペイン フューチャーズ F10
ダブルス 準優勝
2003
全日本テニス選手権大会
ダブルス ベスト4
毎日テニス選手権大会
シングルス・ダブルス 
ベスト4
熊本 フューチャーズ 
ダブルス 優勝
ルーマニア フューチャーズ F7
シングルス 準優勝
2004
インドサテライト#1 
シングルス 
優勝
昭和の森 ジャパンテニスツアー
シングルス 優勝
ジャパンフューチャーズ F4 
シングルス ベスト4