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 農園からの風
 

 農園からの風(23) 2011/12/1
 

 

コーヒー農園のパラダイス構想(4)

ニューカレドニア;
    カフェ・ロラコーヒー農園主

    歯科医師;松本 健

 

ニューカレドニアをゴールデンウイークに訪れて帰った私は、久しぶりの高揚感を得て充実している。これまで過去5-6年間、現地フランス人パートナークリストフとの協調、対立、疑惑、信頼、諦め、立ち込めていた暗雲など、

1)人間関係の難しい状況を解決する光がやっと、見えてきたからだ。

2)しかも、これまでの訪問、経験を経て、ここで自分が本当にしたかった事、を見つけ、

3)さらに、自分が美しいと感動した楽園がここにあるからだ。

 

1988年、ニューカレドニアでクリストフと出会って、これまで経験していなかったボート遊びで無人島に連れて行かれ、何ら、人の手を加えられていない自然のままの島を純粋に美しいと感動した。波のささやき、ヤシの木の木陰、そよ風、フランスワインとパン、バーベキュー、彼の子供の戯れ、そしてシエスタ(昼寝)など全てが美しかった。

当時の私は、日本にいる閉塞感に満ちていたらしい。よく彼が「お前は、自分が自由に呼吸できる広いスペースが欲しい」と言っていた、という。それが、国際空港から近いトンツータ農地の獲得に繋がり、更には彼との共同事業であるコーヒーの栽培、製作、そして現地販売、日本への輸出に発展したのだ。

 

当時の彼は、優しさと笑顔と友人に満ちていた。自分で言う「俺はサービスミリテール(軍隊)でイル・デ・パン(離れ島)に送られ、そこで乗馬とヨットを教えていた。そこで現地のメラネシアンに好かれ、フランス人にも人気があったので、良くディナーを両方の家で時間を離し二食したので、ブクブクに太っていた」と。軍隊を終え、厳しいフランスに帰るより、ここの明るい太陽とのんびりさが気に入り、夜学で会計士の資格を取って就職した。当時の元カノは言う「貧乏だったのよ、資格を取る前は、カウボーイで牛を追い、住むところは、屋根が剥がれた処で雨の日は、ずぶ濡れになったのよ」。若くて行動力のある彼は、やっと就職先を見つけ、持ち前の積極さと明るさで社長に気に入られるようになった。

 

当時のニューカレドニアは、人口の半数を占める独立派のメラネシアンと後から来たフランス系との対立が暴動にまで発展し、政情が安定していなかった。メラネシアンをよく知る彼は、彼らの本当の狙いが「独立を叫んでフランス政府からお金を出させ、自分たちはそのお金でのんびりする」事にあったのを熟知していたので、社長を説き伏せて彼の資金で土地を安く買い、最初のマリーナコンドミニアムを建設したのである。私は、湾に突き出た美しいマリーナに魅かれ、見学を申し込み、そこで応対に出たクリストフと初めて出会ったのである。当時の彼は、マリーナ建設報酬として貰った2ベッドルームのコンドが最初の財産であった。仕事に真面目で、労力をおしまない彼は、社長の庇護下で次々とコンドミニアムを建て、成功するようになった。当時は、対立問題がやっと平和条約で収まって安定すると、良い気候と環境を求めて本国フランスから人が移住するようになり、人口が徐々に増えて行った。

 

一方私は、生来の冒険好きと強い好奇心から外国;特に日本を降伏させたアメリカでの勉強、経験に憧れていた。子供時代に見た、でかいアメリカ兵がジープを乗り回し、チューインガムをばら撒く光景を記憶していた。留学は、歯科医師になってから実現した。ロス・アンジェルス時代に良い歯科医師に出会ったのも運命である。ユダヤ系アメリカ人のメルは、何度も来る私に、アメリカの良いところを見せてくれた。私もメルを日本の良い処で講演させた。何事にも博学で、海外をよく知り、自分の表現能力の高い彼は、私の憧れになった。「どうして同じ人間でも、いくら文化が違うと言っても、人間にこんなに差があるのだろう?」

歯科医師として成功した私は、より高いものを求めてニューヨークの大学院に入った、36歳だった。ニューヨークを選んだのは彼の「お前は日本にいて、(人間の本当の)世界を知らない。ニューヨークはいい勉強になるだろう」と。

しかし、そこでの経験はあまり書きたくない。ものすごい量の文献読破、発表準備で寝る暇もなかった。そこでは、私の埋もれていた原始生存本能が初めて刺激され、待ちに待った待望の子供が危うく殺されそうになった。大学院の卒業スピーチで「私は、高いものに憧れてニューヨークへ来たが、ここで見て、経験したことは最低だった、xxxx it(禁語)!」と言ったようだ。苦しかった時代に「俺は、南太平洋で俺の楽園を見つける」とクラスメートに言ったのを記憶している。

 

こうした背景で、私がニューカレドニアでクリストフと出会った時、「また、俺の将来を面白くする友が出た!」と感じたのである。11年後、クリストフは、私が買ったトンツータの荒れ地を開拓して平地にして、洪水予防の為、2キロに及ぶ堤防を造り、36キロにも及ぶ地下パイプを埋設し、4万本のコーヒーの木を植え、2年後、さらに縦10メートル、横60メートル、奥行き12メートルの工場を自力で建て、各種機械も設置した。これらは全て彼の労力と知恵そして、二人のアシスタントの協力によるものであり、私は筋肉仕事には全く適していなかった。こうして、ニューカレドニアで初めてのコーヒー栽培、製作農園が出現したのである。このころの彼は、「ニューカレドニアの初めての国産コーヒーを輸出産業にするのだ!」と言う情熱に満ちていたのである。一方の私は「こんなに広い土地をたった3人で開拓して、ここまで自力でできるとはーー!と、圧倒され続け状態だった。現地でカフェ・ロラコーヒーが発売され、2年後には、日本でもお土産品を扱う業者やインターネットを通じて売り出されたのである。

 

<クリストフの変貌>

こうして順調に売り上げが上がり、農園がきれいになり、二人が楽しくやる友情物語になるハッピーエンドで終わるのが映画、小説の領域だが、事実は大抵反対に動くのがこの世である。

売り上げは彼の手腕により、毎年順調に上がったが給料、電気代、ガソリン代、メインテナンス代で消えて、とても我々にまで給料は出なかった。日本での売り上げも期待した程伸びなかった。しかし、何とか会社を続けては行けた。

 

問題は人間の変貌である。仕事に真面目で、(家族も省みないで)常に100%全力でプロジェクトに打ち込み、「俺の楽しみはそれを完成させたときの高揚感を味わうことだ!」とする彼に順風が吹いたのである。社会が安定するに連れて本国:フランスから引退者が続々と移住してきた。政府の年金の70%アップ奨励策によるものである。次に若くて次々にプロジェクトを完成させてゆく彼を大銀行の社長がバックアップした。社長曰く「大抵な人間は、リッチになるにつれて必要のない事をする。大きな土地・家を買い、豪華なクルーザー、別荘を手に入れる。だがお前は質素に生活している」と彼を気に入ったのである。まさに彼をよく見ている。彼は、家庭や子供は邪魔者としかとらない。食べるものは殆ど外で摂り、家での食事はスパゲッテイ、それにケチャップをかけ、胃に流し込むだけである。偶然私が来ると、その上に缶詰イワシの一匹がのる質素(興味がない)生活である。こうしてある日、「ケン、俺には(利益の少ない)コーヒーに打ち込む時間がない。お前がやってくれ!」と来た。あわてて「俺は経営を知らない。会社は潰さないようにしてくれ!」と依頼したのである。

 

私は3年間、カフェ・ロラ農園に住み込み、コーヒー栽培、コーヒー製作をしてみた。太陽が昇ると共に起き、沈むと休み・寝る生活は新しい経験だった。朝の空気はすがすがしく、美味しかった。私の作業は殆どトラクターに乗り、昔植えたブルボン・ポアンチュの移植が主だった。その他、水に肥料を混ぜて広いコーヒー農園に流し続けた。また四輪クアッドに乗り雑草剤の散布もした。収獲期になると、大きな収穫機に乗り、赤、黒、緑のコーヒー豆を収穫して、収納箱に入れ、バイブレートしながら比重で良い豆と軽い(悪い)豆を区分けする機械、皮むき機、そしてドライヤー(乾燥機)を通してコーヒー豆を大量にストックした。当時働いていたバヌアツ人のパウロ、妻のポーリン、当時のマネジャーのM.R.と私との共同作業であった。和気あいあいとして実に楽しい仕事であった。しかし、どんなに猫の手を借りたい時でも、彼は現場に来なかった。農園を始める時、「いつでも俺は来る。24時間いつでも呼んでくれ!」と言っていた男が、コーヒーの利益率が低いと分かると、もっと簡単で巨額なお金が入るコンド建設に走り続けた。5年くらい前に、「俺には今、13億円の財産ができた。半分を税金で払っても、残りで一生生活できるだろう。しかし、俺にはできない。なぜなら俺には働くことしか楽しみがないのだ」と言った。そして、昔の明るい笑顔も、友達も徐々に去り、家族も彼から離れてゆき、残ったのは新しい事業のみだった。そして、ついにある日、「俺は、儲からないコーヒーには投資を拒否する!」と宣言し、私の苦悩が始まった。以後、あらゆることに対立し、電話、メールによるコンタクトも拒否された。見かねたマネジャーが弁護士を紹介して相談に行ったが、説明後、「彼は不道徳だが、違法ではない」と言われた。失意の3年間であり、最後には、「お前と喧嘩するのに飽きた。俺は帰って、日本での販売に力を尽くすから、お前が農園と国内販売をやって、会社を維持しろ」と宣言し、帰国が決まった。パートナー契約上、彼には正当な理由がない限り拒否はできなかった。

 

 

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会社名

エスシーエー ロラ(SCA LOLA)
社長(President)
松本 健 (Matsumoto ken)
副社長(Vice President)
Christophe van Peteghem
資本金(Capital)
28M cfp(3,700万円) US$ 300G
設立(Stblished)
2000年9月(September 2000)
本社
Sunset Promotion:6,rue Jules Garniere B.P.2958
Noumea, Neuvelle Caledonie
電話
(687)929601、(687)820099
ファックス
(687)266870
名古屋出張所
〒461-0033 愛知県名古屋市東区大松町3-20
電話
(052)936-1307
ファックス
(052)936-6121
事業内容
コーヒーの栽培、加工、販売、輸出
従業員
6人
取引銀行
三菱東京UFJ,Societe General Bank
事業概要
SCA LOLA (カフェ・ロラ 商品名)は“天国に一番近い島”ニューカレドニア(フランス領)で生まれ、
国際空港近くのトンツータ河沿いに123ヘクタール(36万9千坪)の土地を所有しています。
その内の10ヘクタールにカティモア種とブルボンレッド種が3万本、
5ヘクタールには1万本近くのブルボン・ル。フォア(ポアンチュ)コーヒーを栽培しています。
さらに現在、新たに15ヘクタールを開発中でブルボンとル・フォア種が5万本植樹される予定です。
今年の収穫量は20トンを期待しています。

 
カフェロラサポーター

 
杉山記一 杉山記一氏

プロテニスプレーヤー
所属:橋本総業 株式会社
誕生日:1977/07/29
出身:香川県大内町(現・東かがわ市)
国籍:Japan
身長:179 cm
体重:72kg
公式HPはコチラ
【戦績】
2002
スペイン フューチャーズ F3
ダブルス 優勝
スペイン フューチャーズ F10
ダブルス 準優勝
2003
全日本テニス選手権大会
ダブルス ベスト4
毎日テニス選手権大会
シングルス・ダブルス 
ベスト4
熊本 フューチャーズ 
ダブルス 優勝
ルーマニア フューチャーズ F7
シングルス 準優勝
2004
インドサテライト#1 
シングルス 
優勝
昭和の森 ジャパンテニスツアー
シングルス 優勝
ジャパンフューチャーズ F4 
シングルス ベスト4