カフェロラ コーヒー豆  
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カフェロラ コーヒー豆 ニューカレドニア産コーヒー"カフェロラ"へようこそ
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商品一覧  これ迄の経過(Ⅰ)
 
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カフェロラニュース 2013/12/12更新 フロレス島(インドネシア)の風
 
農園からの風    2010/12/15更新   1990年に私は・・・
 
 
天国に一番近い島の恵みのコーヒー
   カフェロラはニューカレドニアに於けるコーヒー栽培加工計画を休止致します。
         新しくインドネシア・フロレス島で

          
           貧しい農民を助ける

 

              コーヒー計画がはじまります

 

 

 
 
 
 

 

 

私がオーナーです!!


日本人の私が南太平洋での楽園探しの途中でフランス人と知り合い、2000年に始めたコーヒー農園である。そこでは作業効率と人間関係に問題が発生したが、それも良い経験となった。コーヒーでは、かってチャーチル元首相が特に好んで飲んだルフォア種(ブルボン・ポアンチュ)はコーヒーの希少種としてこの国の特産品となっている。
 

 

 
 
カフェロラNEWS

 カフェロラはインドネシア・フロレス島で活動しす。

 ニューカレドニアでのコーヒー作りがインドネシアのフロレス島の知事に伝わり
「何とかフロレス島のコーヒー作りをして欲しい」から「貧しい農民を助ける方法
はないか?」と話が進みました。

インドネシア人は、今だにインドネシアの独立戦争に日本人の人的・物的援助を感謝しています。
既に私も72才にもなり、どれだけ活躍できるかは分かりませんが、私にとっては大きな目標を得たので、残りの人生をかけて日本とインドネシアの架け橋をしたい、と志ざしました。

又4~5年後には、カフェロラコーヒーがインドネシアで再生します。
どうぞ、楽しみにしていてください。
ニューカレドニアで挑戦しそこなったカフェ・ルフォアが新しい土地で生まれます。
さて、良い味ができるか?


 フーデックス 
 
フーデックス カフェロラブース
  (2011/3/1-3/4)幕張メッセにて

フランスエリアの一角に位置する
カフェロラブース。多くの方が訪れ
高い評価を頂きました。

 
 
 
               カフェロラ・カフェ
                 これ迄の経過(Ⅰ)              
 

                                     <新しい出会い>
昨年(2012)の大晦日に新しい旅の出会いがあった。場所は、インドネシアのバリ島の友人宅での昼食会である。友人の名前は、現地でインドネシアに豊富にあるチーク材を使ったリゾートハウスを造り、バハマ諸島やニューカレドニアにコンテナーで輸出しているクリスチァン(フランス人)である。彼とは、もう知りあって5-6年になろうか?ニューカレドニアでコーヒー園をやっている私を何かと親しみを持って迎えてくれていた。そして、の現地のあばら家の改修工事を最初はアドヴァイスだけでも、ついには積極的に業者をリードしてくれ、私がいつか何らかのお返しをしなければいけない状況にあった。

ランチは彼の家で彼の妻:アーレットの手作り料理で始まった。目的は、私をインドネシアの小島:フロレス島の知事(Bupati=インドネシア語)と会わせ、お互いに協調関係が生まれるかどうかであった。知事は、精力的な50歳でポルトガル系の面立ちがあった。知事は語った「インドネシアは、貧しい国だ。子供の多くはまだ外の青空教室で教育を受けている。病院も少なく、その技術水準は低度だ。私の在任中に何らかの成果を出したい。手伝ってくれないか?」。私は即座にインドネシア語で答えた「Saya mau bantu orang Indonesia(私はインドネシア人を助けたい)と。

             <打診>
 ランチ会の2-3ヶ月前からクリスチァンからの打診をメールで受けていた。しかしその当時は、彼が小島で貴重なチーク材を伐木した後でコーヒーを植えてくれないか?程度にしか考えていなかった。実際は、彼とBupatiは頻繁に会い、6か月前から計画を練っていたことが後で判明した。そして彼はクリスチァンに「どうしてもこの計画には日本人の参加が必要だ。しかも、コーヒーの事が良く分かり、温泉の知識も必要な人だ。探してくれ!」となり「それなら私がよく知っている日本人がいる。会ったらどうか?」となり、今回のランチと進んだのである。私は温泉に関しては詳しくはないが、日本人なら心と体の休息には温泉が必要なことを経験しているので、なんら違和感はなかった。

               <Bupatiとアーレット>
 物事の始まりは15年前にさかのぼる。フロレス島の小村生まれのBupatiは、当時はバリ島で輸出、輸入業者をして成功していた。そして、故郷に帰って知事選挙に出たところ、当時の独裁者に猛烈な反撃を食らった結果、一文無しでバリ島に還らざるを得なくなった(Bupatiの言葉)。アーレットは、フロレス島に全身大やけどをした2歳の女の子の存在を知り、フロレス島に飛び、修道院に入らせて世話を焼き、友人の紹介でオーストラリア人ドクターに呼びかけ、無償でフロレス島に来てもらい、女の子の皮膚の移植手術を何度もして貰っている。それ以後、フロレス島との関係は深く、知事選に出たBupatiとも会っていた。次の出会いは、バリ島である。失脚して一文無しでバリの製陶工場の掃除人をしていた彼は、偶然にその工場を訪れたアーレットを見て、抱きついたそうである。彼女は「彼は只者ではない、もっといい地位を与えなさい」と知り合いの会社に紹介し、又、貧乏で家もない彼と家族に部屋を与えて保護したのである。そして、再び故郷で選挙戦に出た彼は、今度は民主選挙で当選し、現在の知事の地位を得たのが2年半前であった。その出会いが、彼の夫であるクリスチァンとの出会いになり、クリスチアンの豊富なアイディアで彼にやる気を起こさせて、の紹介となった次第である。



                           私(Ken)、アーネット、Bupati、クリスチァン


                  <視察旅行>
 1月2日、Bupatiの計らいで、ハイシーズンにもかかわらずBupatiと私、そしてクリスチァンアーレット夫婦の4人がバリ島からフロレス島に飛び立った。フロレス島は、総面積13,540km2(四国が18,300km2),横に細長く伸び人口は150万人である。特に変わっているのは、人口の殆どが回教でなくカトリック教徒で教育水準も高い、とガイドブックには書いてあるが、まだ大学はない。経由地のKupanでは、空港長が直接出迎え特別室で歓待を受け、しかも、直接現地に近い空港にチケットを変更手配してくれたのは、彼の権威の象徴であろう。空港にはボデーガードのお迎えで,先ずは彼の勧めで温泉見学となった。空港から一キロにある温泉地には既に1-2百人の現地人入浴客が入っていた。彼曰く「私は外貨獲得のためにここを西洋人観光客、並びに日本人湯池客にも利用してもらいたいのだ。バンガローだけではなく日本人のためのロッジ、日本食堂も作り、マッサージ師、女性ヘルパーも日本語教育する。」私が「なら、日本人ドクターも要るよ」と聞くと「おれが許可する」と答えた。温泉は円形の池からコンコンと湧き出ており、1分間に2千リッターも出るそうだ。温泉池からはお湯が豊富に川となり流れ、手を入れてみると30度以上と感じた。さらに温泉水は、途中で冷たい流水と合流して下っていった。クリスチャンは入場料金を聞き、全体像を見渡し「ここには西洋の公園デザイナーが必要だ。さらには日本人のための温泉デザイナーを必要になるだろう」そして素早く計算して「ここに10軒のバンガローを作れば、入場料金、さらには土地のレンタル料も加味すると2-3年で黒字にできるだろう」と言う。私には経理上の先の見通しはチンプンカンプンである。でも面白いと感じたのは、Bupatiが「おれには前立腺に問題があって子供に恵まれなかった。しかし、この温泉に毎日通い、頭の毛先も浸すくらい潜って湯池したら3ヶ月で子供に恵まれたのだ。きっとこの温泉の効果はまだあると思う」。クリスチャンは「この地には西洋人が泊まれるホテルは少ないので、バンガローをインドネシア風に作り清潔にすれば、必ず宿泊客は見込める」と計算に余念がない。は彼の広い人脈を利用すれば、きっといいデザイナーが見つかるし、温泉のほうも日本で探せば、きっといい人に巡り合える予感がした。

                 <コーヒー生産> 
 翌朝は、ホテルに車が出迎え知事公舎に行った。Bupatiは制服姿で威厳に満ちた態度で私たちを出迎え、私服姿でにこやかな昨日とは大違いであった。森林局の先導車、次にBupatiと運転手が前の座席、後ろには私とクリスチャン夫婦が乗り、3,4台目ボデーガイドの車が続いて、コーヒーを作っている村に走った。連れて行かれた農業協同組合には、コーヒー生産機械が一応そろっていた。コーヒー豆は比較的大きく、含水量は12%であり、一応の基準は満たされていた。現地でコーヒーを試飲してみたが、味は際立った特徴がなかったが悪い味も感じられなかった。次に山中に存在するコーヒー畑を見たが、大きなコーヒー園ではなく、それぞれの住民が自宅地で自然栽培しているようであった。なんでも14の村々でそれぞれの協同組合でコーヒーを管理、生産していると言う。生産量は年間300トンであり、スターバックスが全部持ってゆくそうだ。車列は山中を駆け巡り、ある村に入って行った。そこでは、村人が楽器を鳴らし村長をリーダーに4-50人の女性たちが伝統ダンスを踊っていた。すぐに車を止めて、写真撮影をしたところ、Bupatiはすぐダンスの仲間入りをして住民の心を掴んだのは、さすがに政治家と感心した。次の村では1千2-3百年前から変わっていない村へ入り、彼は集まった住民に演説をした.聞くと「この村は観光客には大事な村だ。私は村を塀で囲み、入場料を取って皆さんにも分配するのでこれからは、より収入が多くなるだろう」と言っていた。

                  <村人の歓迎>
 Bupatiが私たちのために2万8千ヘクタール用意しているというMに入って行った。彼も自分の管轄地でありながら初めての訪問であるそうだ。村人は暖かく私たちを迎え、私とクリスチャン夫婦の三人に手縫いの布地を記念にくれた。その意味は「これでお前たちも私たち住民の仲間だ」そうだ。Bupatiは集まった約百人に向って演説をした。「ここに日本人のコーヒー作りと私が貧乏な時助けてくれたフランス人女性と夫が来てくれた。私はなんとか彼らの知恵と技術を借り、この村から貧乏という言葉をなくしたいのだ」。さらに「日本は広島、長崎では完全に破壊されてしまった。でも今の日本を見ろ ! 彼らは、戦争前より発展しているのだ。私達の両親が独立の際、日本人の手と武器を借りた。また私たちには日本人が必要だ!」。皆、身じろぎもせず聞き入っていた。演説後、食事に移り、先に私たちが列に並んだが、出された犬の肉だけは遠慮した。食事後、住民からの質問を受けた。みな貧しいが真剣で、注意を逸らすものは誰一人いなかった。「この村の若者は仕事を求めてバリ島やマレーシアに行く。そこでは男はバーで働き、女は売春婦になって心がバラバラにされ又、村に帰ってくる。何とか家族が一緒にこの村で働けるようにしてほしい」、「20年前にも日本人がきて約束して帰ったが、それ以後何もない」。50歳代のこの村の女教師村長は「ここは屋根のある教室だが、他では屋根のない場所で教えている。屋根つきの教室がほしい、そして子供たちにいい教育をしてあげたい」という切実な訴えであった。私は終戦直後の青空教室を思い出した。生徒数が多くて一時的に外で授業を受けた経験があるのだ。それ以後、日本人はその知恵と働き者ゆえに今日のリッチな生活になったが、この村はまだ昔のままの姿でいるのだ。ある村人の質問は、Bupatiにも通訳が必要だったが、意味はわからなくても村人の真摯な態度は、私たちの心に通じるものである。私は「この村を何とかする!」とインドネシア語で伝えたかったが,先ずはよく現状と何ができるかを調べてからだ、と控えた。でもいつかは、住民に彼らの言葉で何か言いたいと思った。こうした場でも比較的に冷静さを保てたのは、さすがに無駄に人生を経験していなかった証拠か?と後で自分を褒めた。
 
Cafe LOLA(カフェ・ロラ)の特徴
 
特徴私達は、これまでの低開発国からの奴隷制度に近いコーヒー作りと異なり、フランス法にのっとった高賃金と良い環境でのコーヒーを生産しています。 
 
 
強み:美味しさの秘訣は、純粋な大自然・・・透明度にすぐれた大きな川、緑あふれる山々、澄んだ空気枝葉の先まで浸透した木々から実るカフェロラコーヒーの実、後味すっきり。 
だからまた飲みたくなる!
 


1) フランス産アラビカコーヒー
2)  天然デカフェコーヒー
3)  害虫のいない栽培場
4)  有機栽培
5)  フェアートレード


説明
1) 私達は、フランス海外領ニューカレドニアで フレンチブルボンコーヒーを現地人と共同して栽培しています。
   10ヘクタール(3万坪)には、3万3千本のアラビカコーヒーが育っています。

2) 更に、1万本の天然デカフェコーヒーとして有名なカフェ・ルフォア(ブルボン・ポアンチュ)を栽培しています。
   この種は、イギリスのチャーチル元首相が愛飲したコーヒーです。

3) 現在 天然の虫除けになる特殊な木をシェードツリー(日除け木)として、植林しています。

4) 有機栽培:除草剤を使わないようにしています。

5) フェアートレード:輸入の際、生活環境改善に協力しています。